七彩輪 2010

展示無事終了しました。
今回は他の人も含めみんな力作ぞろいでいままでで一番充実した内容の展示なったのではないかと思います。



































会期中に小学校1年生というやたら元気な女の子が来ていました。
色々なことを言う人はいるけれど、大人100人いたって子どもにはかなわないでしょう。
「よくわからない」というわかり方をできなくなるのは一体いくつからなのだろうか。
とりあえず、ヒトに棒がつきささっているやつがお気に入りだったようだ。

あと、自分自身どうするべきかと思っていたこと、ネガティブな印象やグロテスクな印象を与えるかもしれない(と思われる)表現について初心に帰ることが出来た気がする。その子は別に「そういうこと」を「いけない」とは思わなかったようだった。
いい絵本にはすこしダークな部分があるように、常に残酷な部分を持ち合わせている方が自然だと思う。

べつに、ヒトに棒がささっていたって死んでいるわけじゃないんだから。
もうすこし、自分のカラダとその外側の境界が曖昧だった頃は自由に自分自身をいろんなものが通り抜けることが出来たし、その中身も見ることが出来た。今だってみようと思えば見えるはずだ。少し頑張らなければいけないが。


あとは、作品としての絵のあり方についても考えた。
作品を買ってどこかに飾るということは何年もそれを見続けるということだ。ということは見続けることの出来る絵というのは一体なんなのか?その表面自体、マチエールが美しい、ということも日本画にとっては重要なのだろう。
でも、むかし美術館やギャラリーでいい絵があったとしたらそこから持ち帰ったのは記憶の中のその絵だったはずだ。ほんのひとことのタイトルやその他きっかけを覚えておけば、それは何年か後でも見ることが出来るはずだ。…自分の脳みそでいい感じに描きかえられたそれを。

↑しかし、この問いは前者か後者か、ということでなく、最終日にギャラリー小柳で束芋の展示を見たときにボディーブローを食らったようにそれは全部だよ、とわかった。やはり作り手はベストを尽くすべきだ。

とにかく子どもに絵を見せるということは大変ためになるということがわかった(笑)

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